味噌汁ぶっかけ飯 改
味噌汁ぶっかけ飯。
汚い、下品だ と、ネットで やり玉に挙がっている のを見たことがあります。
見たことがあるどころか、小学校の頃に「せんせー! ぽてちくんが汚いことをしてるー!気持ち悪ーい!」と、やり玉に挙げられた こともある。
各家庭の経済状況と、食の文化だと思うのよね。
ぽてちをやり玉に挙げた女子生徒は、副食に不自由しない経済状況のおうちだったのでしょう。確かに、そういう匂いがしました。
高度経済成長が下々に行き渡る時期まで、十分な量の副食を用意できなかった ぽてち家では、飯の 2 杯目は味噌汁ぶっかけ飯にすることが珍しくありませんでした。
たぶん、登山か会社で学んだ 親父が持ち込んだ 流儀で、親父は好きな方だったと思います。副食が少ないときは積極的にやっていましたから。
さらに、とても贅沢な飯の食べ方で。貴重品の バターを一かけら 飯に乗せて醤油をちょろっとかけて食べる方法も、やっていたのは親父だけ。外で学んだ 親父が持ち込んだ もので間違いありません。この場合、副食はバターひと欠片になります。
爺さん が味噌汁ぶっかけ飯をやる姿を見た記憶はほとんどない。明治の価値観 で、そういう事は下層民がやることだと思っていた節も感じられた。立ち食いや買い食い、駄菓子も、だいぶ嫌っていましたし。
そう言えば、今で言う「ワンプレート」ものも、飯の上にあれこれ乗せてしまうのも、嫌っていましたね。飯は飯。副食は副食。味噌汁は味噌汁。漬け物は漬け物で、それぞれの食器からバランスよく食べるものだ、と。
変なところでお武家的な考えを持つ爺さんでした。自身は尋常小学校卒の職人でも、学問を重んじる考えを持っていたし。
出が、有力大名ご家老一族の末端に連なるおうちだったからでしょうか。
でも、爺さんは職人だし、金が無くて親父は府立〇中の途中から定時制に移って働き始めた零細企業サラリーマン。高度経済成長の恩恵が回ってくるのが遅くて 経済的にだいぶ苦しく、立派に 下々 の範囲なんですけどね。
大企業勤めの叔父や、やはり大企業勤めだった母親の従兄弟は、ぽてち家から見ると羽振りが良かったですけど。うちは当時の零細企業のサラリーマンですから。
話し戻って。
味噌汁ぶっかけ飯に抵抗感が無い ぽてちは思いついた。味噌汁おじや を。爺さんはめっちゃ嫌いそうですが。(^^;
7/11 に買いに行って。これと
これを
こうして
こうして
こう。
具材に不足なし!♪ そしてクツクツ煮込む♪
握り飯がほどけてとろみが出てきたあたりで
こいつの
半分を、ちぎってちらす。
そしてさらに煮込む♪
ヨシ!となったところで、海苔の半分をちぎって散らして
完成♪
京都清水坂『七味屋』の七味を贅沢にかけて、けっこうイケました♪
写真は、4,000 万画素と神レンズの無駄遣い。 X-T5 と XF35mmF1.4 R です。
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