殿様サミット
応募したら当選しまして。行ってきました。抽選倍率が 5 倍だったそうな。
予定していた優秀レポートの紹介とやらは、「該当する作品が無く、別のプログラムに変更」だとか。うん、応募が無かったのでしょう。(笑)
参加を得られたら各家(藩)と、区との関わりの紹介に変更。(区職員が担当)
各家(藩)領地の中心市や県による地元紹介は、まぁ、そういうもの。
観光 PR に長けた金沢。準じる熊本。手慣れていない水戸。機会が滅多にないと感じさせる福山。それぞれでした。
ちなみに、参加を得られたら殿様は
茨城県、水戸徳川家十八代。広島県の福山、阿部家十八代。熊本県の細川家十九代。石川県、前田家十八代。
舞台に並んだ順は、石高ではありません。殿様が殿様だった時代に世襲した、朝廷位階や朝廷官職でもなさそう。
徳川将軍家との近さ順ではないか。そう思いました。
言うまでもなく、御三家の水戸徳川。言うまでもなく、「徳川」を名乗れた四家の一つ。最後の徳川将軍は水戸家の七男。
阿部家は安祥譜代の大古参で、殿様が優秀なら幕閣入りも不思議じゃない家格。幕末の十三代将軍の頃には 10 年も老中を勤めて、老中首座のまま病死していたはず。
譜代だから、老中 10 年でも外様大家ほどの石高にならない。福山 10 万石。
細川家は足利将軍家に連なる名門。たどれば血塗られた摂津源氏。管領家や阿波家の嫡流でなく、足利将軍の近衆を勤める支流家だったはず。
熊本細川の初代になる藤孝は、外様でも抜群の政治力で家康と良好。息子はもちろん関ヶ原東軍。熊本加藤家の改易後に半国で配置されて、まもなく一国持ちへ。
前田家も、言うまでもなく外様の大家ですよね。富山、石川、福井で、通称『加賀 100 万石』。当主の世襲官職は「少将」だったように思います。違ったかな?
印象なんだけど。
幕府は前田を粗略に扱うようなことは決してなく、仲良しだから 260 年間も安泰だったし、お約束の血縁も結んでいる。
なんだけど、ビミョーな緊張が、双方にあったような・・・双方で「仲良しだけど、こいつに我がままを言っちゃいけないな」みたいな。
以下、激しく要約。
司会:各家に伝わる家訓は?
無い。碑文を見ると、んなこと考えていたのね、と思う。
無い。区内の小学校に、難しいのが伝わっているらしい。
無い。小さな頃に、母親に祖先の本貫領地へ連れて行かれた。
無い。子供各人に守り役がいて、教育は守り役だった。
司会:ミッションは?
墓守り。スッゴ!大変。墓稜の 400 基回ると 3 日間。本当は毎月。
墓守り。スッゴ!大変。財団作って骨董貸して、アガリで墓の修理。
墓守り。スッゴ!大変。(外向きに当主の座を譲られ、面倒はまだ)
墓守り。スッゴ!大変。たくさんの寺と、切れるもんじゃない。
司会:各家と区との関わりは?
各家、旧藩邸の立地と自身の移転経緯を説明
本当ならここの地主はうち、とか。
あの橋を最初にかけたのはうち、も。
子供の頃に毎年ジイちゃんの家(昔の物置の跡)に遊びに来ていた、とか。
司会:大名家の交流は?
こういう機会やあれこれの集まりと、葬式。
こういう機会やあれこれの集まりと、葬式。
こういう機会やあれこれの集まりと、葬式。
こういう機会やあれこれの集まりと、葬式。みんな親戚。年中。
「去年、尾張と紀伊と 3 人だけで飲んだけど、御三家の飲み会は 375 年ぶり」には笑ったです。
司会:親戚というと?
ごちゃごちゃしてて、覚えてることだけ。
戦前は宮内省が華族の婚姻を決めていた、とか。
天皇が民間からもらったから、旧華族も民間アリになった、とか。
かーちゃん近衛から来たからあちらと従兄弟どうし、とか。
旧藩邸の裏が広島の浅野さんちで、親父とお袋がくっついた、とか。
司会:抱負は?
墓を筆頭に、あれこれ守っていくこと。
墓を筆頭に、あれこれ守っていくこと。
墓を筆頭に、あれこれ守っていくこと。
墓を筆頭に、あれこれ守っていくこと。
| 固定リンク
コメント