大雨被害の報に思う
ぽてちが大学生の頃までなら、浸水と土砂崩れの被災家屋が全国で数万軒の、死者数が三桁近いとか、なって不思議じゃない。
なんて書いた翌々日に、本当にそんな事態になってしまいました。
「これまで経験したことがないような大雨」「重大な危険が差し迫った異常事態」と、気象庁が発表するような雨だったそうですね。
それが 1 日に留まらず 2 日も 3 日も続いて、治水・治山の事業が設計する際に想定した異常高水量を遥かに超える水量だったのでしょう。
(土砂崩れは設計もなにも無いから、大雨が続けば発生してしまいますが)
四国だったか、取材を受けた 50 代の人の「ずっとここに住んでいるが、ここまで水が来ることはなかった」という言葉も、それを裏付けていると思います。
うちのあたりも都市中小河川の氾濫というやつに悩まされ続けた土地で、就職する頃までは数年おきに氾濫が発生して、床下浸水や床上ギリ手前浸水を何度か経験しています。
ぽてちが産まれた年は、 1 階で首の高さまで来たとか。
首までの 3 年後くらいの建て直しで、定期的な水害を想定して盛り土でちょっと高くして、周りの家が床上のとき、うちはたいてい床下くらい。
周りの家が床下のときは、うちは被害なし。これも何度かありました。
うちが床上ギリ手前で畳の下の板が湿るくらいになると、路地を出た外通りは大人の胸くらいの水深になります。
家を出て太ももまで水に浸かりながら外通りを見ていたら、町会の人が胸まで浸かって泳ぐように通り過ぎていき、ちょっと後に消防のボートが通り過ぎていった。
あまりに非日常な光景に、目を丸くした覚えがあったりします。
ぽてち的に最大の被害は、母親がテンション上がっちゃってギャー!ギャー!になることでしたけどね。(^_^;)
膨大な量の荷物、家具、畳を 1 階から 2 階に運び上げろ!と。
年上の男兄弟が多数で娘一人の家に育った人だから、大騒ぎで怒ってみせれば周りが言いなりになると染みついているんですね。
戦中戦後の飢餓期に育ってモノが高い時代を過ごしてきたから、処分できない人でもある。
大学生頃には、騒いでるだけでなく自分も運べよ、と。(^_^;)
水に浸かっちゃ困るものは 2 階に置けるくらい荷物を減らせよ、と。
「これは重いからあきらめろ」「それも濡れたら捨てろ」と、ぽてちに返されるようになって、親父も ぽてちの意見を受けて動かぬようになって、自分で運び上げようとしてみてその重さを思い知ったようです。
勝手なもので、即座にあきらめ。ギャー!ギャー!が少し減った。(笑)
いずれにせよ、まさに天災。ヽ(^◇^;)ノ
そんなことで、大雨と水害にはちょっとだけ意識が高い ぽてち。(笑)
大学生の頃、『水と緑と土』なんてタイトルの新書を読んで、治山と治水と人間の活動に思いを巡らせたこともあります。
昭和以降の治水技術・治水思想で、人間が使える土地が大きく増えました。
昭和以前は遊水地にしか使えなかった広大な土地が田畑になり、高度成長以降の更なる治水技術の向上と大型投資で、住宅や商業にも使うようになってきました。
その効果が逆にも働いて、雨水が即座に排水になって、河川に集中する。想定した最大水量を超えて、氾濫を起こす。起こせば、かつて遊水地や田畑が受け止めた氾濫水が、住宅や商業を襲う。
さらなる治水工事が行われ、さらなる雨水の集中を生み、氾濫が起これば劇症化。
いたちごっこの繰り返し。
うちのあたりの氾濫は、予算潤沢だったバブル期に都が大規模な投資をして以降、ぴたりと収まっています。
が、温暖化による大雨の劇症化で、想定した異常高水量を超えるようになるかもしれません。
今回の大雨も、天気図がちょっと違って関東が襲われていたら、そうなったかもしれないんですよね。
そのときは、経験で下す「こうなったら、こうなる」の判断が通用しなくなります。
たぶん、過去のように近くでなく、上流で発生した氾濫水が、川のように押し寄せてくるはずです。
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