お試しで都電の撮影
家を出たとき撮影。歳をとったとは言え、十分以上のご飯で野良とは思えぬ身なり。
さて、月曜日は台風一過の晴れ予報だったけど、特に予定無し。
のんびり起きて、また寝直して。 12 時過ぎに目覚めたら、足の間で猫が爆睡中。
そっと起き出して、考えました。
予報通りけっこう暑くなってきているけど、ごろごろしてないで出かけた方がいいよな。でも、出かける先のアテが無いな。
D850 の試し撮りに出かけるかね? でも何処へ? 今からだと都電かな~。
そう、家から遠くない圏はカメラ遊びの地になるところがほぼ無いんですね。昨今は写ることを嫌がられるから、繁華街まで行って街角スナップをやるのも難しい。本当はこれを一番やりたいのですけどね。
かと言って、ただの町をプラプラするのじゃ同じような光景が延々と続いて面白くないし、家の近く圏ではフォトジェニックな光景も無い。
街角の猫撮りも、そう簡単に出会える時代じゃありません。
まぁ、都電だな。そう思って靴下等を取りに行ったとき覗き込んだら。足の間で爆睡していた続きを、単身でやっていました。(笑)
カリカリを増量して、胴が だふだふ ってきてしまった感じ。また減らすか。(^^;)
猫にとっては暑くなりきらぬ午前中の陽気がちょうど良かったようです。 PC 小部屋に戻って持ち出すカメラの構成を考えていたら起きてきたらしく、水を飲む音が聞こえてきました。
もっと遊んでやらなきゃな。と、唐突に。
で、持って出たメインは
D850 + AF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8E ED VR 2,050 g
重いレンズを手にとって、軽い AF-S NIKKOR 24-85mm f/3.5-4.5G ED VR にしちゃえ!と、気持ちが何度も揺れました。
イザそのときになると、重いレンズを避けたくなるんですよね。 f(^^;)
でも、大きくて重いレンズを使わなきゃフルフレ-ム DSLR を持ち出す意味が薄らぐとの言葉を読んで、納得したことですし。 v(^o^;)
も一つ考えたのが、 X-Pro2 も持って出るか、否か。
1 kg 重くなるんだけど。動体に対する AF 能力の確認と 105 ~ 200 mm への対応を意図して、持つことにしました。
X-Pro2 + XF18-135mm F3.5-5.6 R LM OIS WR 985 g
あわせて 3,060 g で、保護フィルタ-とストラップを込みで 3,200 g かしら。
大きな DSLR を収納するために、バッグは中サイズ(ヘラルダ- 33 )で、重さ約 1.6 kg +中身。
スマ-トフォン・タブレットに財布、筆記具、レンズペン他、あわせて 3 kg 弱くらい。たぶん使わぬ一脚他のアクセサリ-は、もちろんカット。
合計で 6 kg くらいだったと思います。
DSLR 2 台+三脚他で高熱隧道見学に行ったリュックより 4 kg も軽い♪ (笑)
ここでうっかりして、 X-Pro2 の電池を入れ替え忘れました。小バッグ(ヘラルダー 28 )には常備してあって、不用心になっておったです。
おかげで使い始めたら即座に石になってしまいました。(^^;)
ということで、都電へ Go! 早稲田へ。
4,544 万もの多画素機であることから、 DX クロップ撮りや事後の大きなトリミングを濫用しています。
神経質さがあまり出ないようならば、これは多画素機の恩恵。購入前に考えた通り、積極的に使ってみようと考えた。
結果は、まずまずかな。晴れ間が見えている日中だったおかげがあるだろうけど。
D850 は DX クロップで 1,946 万画素。同じ Expeed 5 で DX 2,088 万画素の D500 が評判悪くないからきっと大丈夫だろうと考えたのが、アタリだったよう。
昭和を思わせる雑多な感じが一部残るのが、早稲田。
わずかに記憶が残る昔は、ここから東京駅丸の内口や上野広小路まで線路が続いていました。
早稲田止まりの便と、直通で先に進む便があったように思います。ぽてちは乗り換えるのが(なぜか)嫌いだったのに、直通便は少なかった記憶。
早稲田から先がバスに転換したのは、小学校低学年の頃じゃないかしら。
その頃から高学年になったくらいまでの間に、たくさんの都電路線がバス路線へと転換していきました。
中学年の頃には、『花電』が走る・走った話しをよく耳にしたものです。実物を目にしたことも、一度あったな。
高校生くらいの頃には、廃止された路線の道路アスファルトが削れて、埋めた線路が顔を出しているのをよく目にした記憶あり。
この便は乗車数が多くありませんでしたけど、早稲田でもそこそこの人数が乗ったり降りたりしていました。
降りる客より乗ってくる客の方が多く、「鬼子母神前」からけっこうな混雑ぶり。高齢者や家族連れが多く、ベビ-カ-も 3 台。
今も生活の足として生きていることが感じられました。
都電は長い階段の繰り返しが無くて乗降が容易。家の近くに停留所があれば、頻繁に利用するでしょう。
荒川線がもし廃止されたら。きっと沿線の高齢者引きこもりが増えるのでしょうね。
「鬼子母神前」や「雑司ヶ谷」あたりの住宅地に住む人は、鉄道駅やバス通りに出るための足として利用していると思います。
ということで、「学習院下」でいったん下車。
「下」とは言うけど。明治通りの向こう側が学習院の敷地なんですよね。「学習院脇」が正しいように思う。(笑)
ここは、高戸橋から登ってくる
「鬼子母神前」から下ってくる
電車を観られます。今はあまり多くない登坂降坂のスペクタクル!(笑)
に加えて、高戸橋スペクタクル。
今の目白通りから明治通り沿いへと大きく曲がるスペクタクルと、曲がった直後に短い橋(高戸橋)を渡るスペクタクルっす。(^o^)
ぽてちが小さな頃は橋の欄干?が無く、大好きでした。線路だけでむき出しの鉄橋は、小さな子にとって大スペクタクルです。(笑)
車輪をガ-ガ-言わせながら ゆ~っくり曲がって、橋を渡る前にいったん停車して、そろ~っと。今よりも ゆ~っくり渡っていました。
鉄橋がチャチで、重い車両で加える大きな振動がヤバかったのじゃないかと思う。実は交通局的にもドキドキ☆なところで、やっぱりスペクタクルだったのでしょう。(笑)
上の写真を撮った位置まで移動したとき、目に入ったもの。
「高戸橋から登ってくる」の写真と次の写真は X-Pro2 での撮影。すぐに電池が切れてしまって、掲載は 2 枚だけ。
雲の動きで陽の差し方が大きく違っています。
再び都電に乗って、「東池袋四丁目」へ移動。
「鬼子母神前」や「雑司ヶ谷」は都道を通す工事中で、行動の制限が多いだろうと考えてパスしました。
このあたりは 1970 年代に TV ドラマの舞台となった頃から長く雰囲気が変わらずにいましたが、道路が通って、お-きく変わるのでしょう。
同様に、「東池袋四丁目」と「向原」の間も、道路を通す工事中です。
こちらは ひじょ-に残念。 50 年前の雰囲気が、ちらちらと残っていた区間なんですよね。
線路に向かう側も実質的な出入り口にしている家は珍しくなかったし、(決して道路ではない)線路脇が生活道路になっていたり。
ぽてちも、ばあちゃんに連れられて線路脇を歩いた記憶が微かにあります。いつの頃からか、警笛を毎度鳴らされるようになって、ばあちゃん歩かなくなった覚えも。だいぶ小さな頃のことです。
もしかしたら、近くの子が轢かれて亡くなったとか、あったのかもしれませんね。
都電は、こういう接近警告音すら鳴らない踏み切りがいくつもありました。
写真の踏切は工事している「東池袋四丁目」から先でなく、手前で車窓に見つけました。停留所からスパッとはたどり着けず、ちょい回り道が必要でした。
探し求めて回る前に、停留所付近で。
奥に見えるタイムズ駐車場は、かつて都電の車庫でした。
いつの間にか都バスの車庫になっていて、いつの間にかフェンスで囲われた未使用地になっていて、いつの間にかタイムズ駐車場になっていた。
ということで、踏み切りを探して歩いてみる。綺麗で、耳カット無し。飼い猫ですね。
我が家のあたりも、 15 年くらい前は飼い猫と野良猫が混在してうろうろしていた。
飼い猫が何匹もうろうろしていると野良猫が縄張りに入れず、野良は少なかったけど。
AF や ISO 値の設定を変えて確かめながら何枚か撮って、「今日は終わり」。
まだ陽が高いうちに汗だくで帰って、まずシャワ-を浴びて、帰り道に買ったノンアルコ-ル ビ-ルで「プハ-!♪」
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コメント
こんばんは。
SevenFiftyです。
わたしも最近鉄道写真を撮りに行きました。
URLは冷房がない車両なので扇風機が動いています。
窓は全開でした。
>都電は、こういう接近警告音すら鳴らない踏み切りがいくつもありました
第4種踏切ですね。
これはわたしも撮りに行きましたよ。
踏切の向こうが個人の住宅や田畑などが多いですね。
神社もありました。
変わったところでは絶対踏切(勝手に命名)でしょうか。
警報機があり踏切もあるのですが、渡ることができない。
かといって保線用とも思えない。
純粋に踏切しかない。
投稿: SevenFifty | 2017.09.20 22:08