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2017.02.10

鑁阿寺(足利氏宅跡)見物ツー【前振り編】


 鑁阿寺とは、また難しい字ですね。ばんなじと読むそうです。


 はじめの建立は 1197 で、足利氏の二代目が。 1229 年に焼失して、足利尊氏の父親(足利貞氏)が再建したのだとか。
 だで、現存建造物のいくつかが鎌倉時代の作。室町時代のもある。

 国宝になっている本堂は鎌倉時代のものだそうな。



 
 
 
 前九年の役や後三年の役を通じて東国一円の武士を傘下に収めたのが、武家の棟梁で朝廷の用心棒扱いだった義家八幡太郎)。

 東国にあった重代の領地と義家が築いた地盤を継いで東国に根を下ろし、足利荘や新田荘も拓いたのが、子の義国


 義国の次男で足利荘を本拠としたのが、義康。この源義康が、足利姓源氏の初代
 ちな、義国の長男で河内源氏重代の拠点だった八幡荘を継いで新田荘を本拠とした源義重が、新田姓源氏の祖だそうな。


 新田から足利に戻って、足利姓の二代目になるのが足利義兼。その義兼が、鑁阿寺を建立したそうですよ。


 わけわからんですが、八幡太郎義家は河内源氏の棟梁であり武家の棟梁で、鎌倉幕府初代将軍となった源頼朝の祖先にもあたるらしい。4つ前で、高祖父になる。(足利尊氏からは9つ前)

 義家の次男で京都にいた義親の系統が、栄枯盛衰の後に鎌倉将軍になって。

 四男で東国の地盤を継いだ義国の系統が、地味ながらも勢力を維持して後の室町将軍とな。

 もっとわけがわからん。(^_^;) 見たことがないとピンとこない。(笑)


 どうであれ、源氏一族が山ほどいた中でも足利氏は名門で、京都の嫡流系統が衰退して逆転打の頼朝もほぼ一発芸で絶えた後は、足利氏が最有力だった模様。

 鎌倉時代に和田、三浦、千葉、安達、等々の有力な一族が滅ぼされていった中で、全盛を誇った北条氏(概ね)良好な関係を維持していたそうな。
 で、有力御家人として残り、北条氏から源氏の棟梁として認められていたらしい。


 名門度でいえば、同じ源義国からでた新田氏が義国系の棟梁ということになりますよね。でも、源頼朝挙兵のとき日和見をしたり一族が木曽義仲に与して源頼朝に嫌われたことで、新田は勢力を落としたらしい。

 勢力の差が利いたのでしょうね。鎌倉幕府(北条氏)滅亡のとき、新田義貞は鎌倉を陥落させた立役者だったにも関わらず、東国の武士が足利氏に流れていったのは。

 鎌倉幕府(北条氏)打倒後、早々に滅亡したからでしょう。新田氏の本拠地は足利市のすぐ近くなんですが、新田市でなく太田市の一部だし、新田氏の確かな史跡がほとんど残っていないようです。
 だから行ってみなかった。(^^;)



 ぽてちは、好きなんですよね~。

 東国の武士たちが一丸となって、京都で公家化した平氏政権を打倒して、担いだ貴種の頼朝も頼家も実朝も抹殺して、承久の乱から朝廷をも圧伏していった鎌倉幕府成立の時代
 東国の武士たちが我が農地を我が手(鎌倉幕府)で治めるようになって、暗殺や内乱を繰り返しながらも北条氏が中心となって後世に長く続く諸制度を築いていった鎌倉時代。

 そこから長い戦乱の世を経て、徳川が武士の世として元和偃武を実現するまでの過程。好き。
(徳川期は、実態として、武士と分化した農民と商人が主役の時代だったと観ています。主役の活躍を支えたのは、質的転換をした少数の武士による統治ですが。)



 武士って、本来は開拓農場主なんですよね。徳川以降の鉢植え大名とか、武士という名の雇われ社員とは根本的に異なる存在で。

 だから徳川以降に創作された『武士道』なるものは、もともとの武士とは無関係だと思っている。諸権益の固定化を図って無成長となった時代の、社会安定のための精神訓ですよ。

 もともと武士は、大地を開墾して農場として、その一所の経営と守護に命を賭した農場主。一所懸命なる言葉の由来。



 農場を守るために刀槍を振るって周辺と争って、守ってもらうために農場を権門に寄進して荘園として、代金としてアガリを納めたり。
 農場の所有を公認してもらって争いを公正に裁いてもらうために武家貴族の家人となって、代金として戦に馳せ参じて刀槍を振るったり。

 略奪や力尽くの横領が日常茶飯事だったらしいですから。(^^;

 中世までの人たちは、すんごく荒っぽかったのねん。(^^;;;

 生産技術が未熟でインフラも無いに等しくて、慢性的に激しく食糧不足で、生命を維持できた人口は今の 1/6 以下だったよう。
 争いごとは自力救済が基本の社会で、荘園本所はアガリを持って行く事しか考えていない。公正な徴収や生産への協力は、現地を任されている下司の人物次第。

 無理無体な略奪や力尽くの横領も、仕方なかったのかもしれませんね。



 で、 450 年くらいの長くて複雑で激しい過程を経て、農場主たる武士が質的な転換もしながらたどり着いたのが元和偃武

 一所に懸命だった小農場主の代表のような出自の北条氏が定めた、農場主たちの法典たる御成敗式目の世。それがようやく完成して、やっと太平を迎えた。

 そんな風に思っています。


 ね?、好きでしょ。(笑)


 前振りがえらく長くなってもうて、【前振り編】にしますです。
 
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