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2017.02.20

鑁阿寺(足利氏宅跡)見物ツー【本編】


 さて、本編。前振り編からだいぶ間が開きました。
 鑁阿寺へ行ってから、2週間以上も経ってしもうたです。v(^^;)


 足利市へ行くこと。前から考えていた割りには出発が遅く、 10:25

 そう、その通り。寝坊です。(笑)


 渋滞や混雑なく順調に... と思ったら、安行出口の分離 V にトラックが突っ込む事故が引き起こした渋滞に遭う。(^^;
 処理中で一車線を塞いだままだったので、本格的な渋滞でした。

 他は至って順調。気温も 11 12 あって、襟とヘルメットの隙間が冷たくて不快な他は、暑いくらいでした。

 冷たくて不快で、暑くて不快。体温調節が上手くいっていないときのパターン。出発時から体調がイマイチだったようです。
 要するに、ひどい夜更かしで、寝坊しても寝不足だったわけですが。(^o^;)


 肩が冷えて痛み始めていたところで、佐野 SA スマートにて東北道を降りる。

 まず、佐野 SA からすぐ近く、犬伏新町薬師堂へ行ってみました。



 真田氏が、関ヶ原の合戦前に親子兄弟で袂を分かつ密談をしたと伝わる薬師堂。異説もあるようです。



 建物は、建て直しを経てきているのじゃないかな?

 大河ドラマ『真田丸』は異色の面白さで珍しく見ていましたが、真田氏に対して特にロマンを抱いているわけでなく、「この辺りだったのね~」くらいの感想。


 ドラマを面白く見たのは、大名被官になった国衆や国衆被官の実像を描こうとしていたから。
 支配領域の縁辺では他村からの強奪が日常的にあったことも描かれていましたよね。

 本領の一所に懸命で、さらには、他所に攻め込んで殺し欺し実力で奪った( by 信繁)所領を守るのに懸命だった姿も。
 古代に根を持つ中世的な社会政治の思想と観念に強く縛られつつ、 400 年かけて少しずつ脱却していって、近世的な完成を見せる時期だったと思います。

 てな感じ。


 パチリ☆撮った後にタバコ3本もの休憩をしたことからも、体調イマイチが確かだったと思います。タバコが多くなるのは、体調が悪いときですから。

 実際、この段階ですでにヘバリ気味を感じていて、この後の足利市でも、見物後、不快を感じつつ長いことベンチに座り込んでいました。

 体調が良いと暑さにも冷たさにも多少は耐性があって、簡単にしんどくなって早々にヘバるような事がなくて済むのですけどね。
 例えば、豪華ランチ♪ツーリングのときがそうでした。


 両毛線沿いの県道で、足利市へ。


 ほぼずっと車の後ろで、1速2速3速を行ったり来たり。エンジンが悲鳴を上げる寸前の 2,200 rpm ですら、4速に入れられることはごく稀。(^^;

 速度が乗った状況の巡航でももっぱら、悲鳴が近い3速 2,200 rpm ということころ。(^^;


 地方路線沿いに、小さな町を小刻みに継いでいく県道。だから仕方ないのですけどね。運転していてだいぶ辛かった。(^^;;;

 鈍い運転も(ナチュラルに)開き直れるほど車が普及していて、年をとってトロくなった人がたくさんハンドル握っていて、さらには今どきの新しい車は以前に増してのろい作りで。
 地方道トコトコの楽しさが、以前に増して遠のいた感を深めました。


 遅い! 鈍い! トロい! ヽ(~◇~;)ノ


 人口と交通量の多い関東地方では、仕方ないことなんですけどね。

 仕方ないんだけど。体調イマイチだと対応がしんどくて短気にイラつくからいけません。(^^;;;;;;


 わずか 15 km 35 もかかって、足利市の『太平記館』駐車場に着。
 距離/時間で見ると、都内よりはマシ。わかっちゃいるけどさぁ。(笑)



 ここで、オーバーパンツを脱いで普通のズボン姿になる。

 日差し朗らかで、履いたまま歩いていたら暑くて大汗のバテバテが間違いなし。ヘバリ気味でだいぶ億劫だったけど、頑張って脱ぎました。


 次は前振り編にアップした写真ですが、太平記館のたばこベンチで休んでいたら『たかうじくん』が出てきた。



 中は高校生の奉仕活動だったよう。制服姿の女の子たちが入っていったしらばらく後に出てきました。地域貢献というやつですかね。
 観光バスの団体出迎えと、観光バスを見送るのに活躍していたようです。

 前がほとんど見えないようで、動く度にみんなで大騒ぎの誘導が微笑ましかった。(笑)


 で、足利学校



 有名ですよね。日本史の教科書にも載っていたっけか? 古すぎて覚えてない。(^^; 少なくとも、持っている日本史の本に写真が載っています。



 事前にちょっと調べて危惧していたのは、足利氏時代の建造物の有無。どうも、江戸時代に徳川がてこ入れした儒学校の臭いがしていました。

 で、危惧した通りでした。

 2つ上の写真左に写る小さな門は古いものらしく、土塁と堀も、鎌倉時代に足利氏の居宅だった時代を今に伝えるものでしょう。
 だけど、主要建造物は江戸時代のもの。



 主要建造物がその状況だと、見るべきものがほぼありません。儒学校は興味の対象外だし、建築様式も躍動する時代を今に伝えるものじゃない。

 建造物を眺めながらぐるっと一周して、鑁阿寺へ。



 かつては同一者(足利氏)の敷地だったものが大区画で分割されて、学校と寺に分かれている。そんな状況のよう。
 惣地頭クラスの邸宅規模からして、そう考えて間違いなさそうです。

 邸宅外になる区画も、ここは事実上家の子の一族や被官が居を構えたところだなと思わせる区画がありました。
 帰宅後に Google map 航空写真を見たら、ここらは倉地だったのじゃないか?と思わせる所も離れた地にあった。


 こちらの門、上の写真を裏側から見たものですが、期待した程度に古い時代のもののようです。そういう造り。



 境内にあった案内板に拠れば、鎌倉時代。寺の Web ページにあった解説に拠れば、室町時代の建造。
 どっちなんだい! (笑)


 いずれにせよ、鎌倉時代や室町時代に大身の武家が気合いを入れた建造物は、立体感と力強さがあって良いですね。木像でも、運慶とか、その対象人物の人となりが伝わってくるような生々しさがあって、なのに工芸的な美しさがある。



 この躍動感♪ 美しい♪

 洗練されすぎていないのも、武士が武士らしく、名と武勇と恩賞(領地)に命を賭して活躍していた時代を現すようで、良いっすよ~。(^o^)

 ぽてちは、史上初の東国武士連合政権を打ち立てた鎌倉幕府の時代がホント好き。



 北条氏政権が残した諸制度を継承して時代をさらに変えていった足利氏政権も、許す。と言うか、好き。


 こちらは徳川が再建したもの。紋がちゃんと足利の二引両ですね。



 中をぐるっと回って見つつ、思うた。徳川が新田氏を私称したわけ。

 武家の棟梁として開幕を志向したとすると、源氏を称するのが現実的。当時的名門中の名門は足利氏だけど、足利氏はまずいわな~。(笑)

 戦国の世を経てもこうして邸宅跡と建造物が残っているくらい足利氏は当時現役な有力一族で、足利将軍義昭は健在だったし、他にも関東公方の系譜を筆頭として、連なる一族がた~くさんいたはず。
 系図も消息も確かでしょう。紛れ込ませる余地は無かったと思う。

 対して新田氏は、たいぶ前に衰微していて、系図に載っているけどその後は不明な者がたくさんいたはずで、紛れ込ませやすかったのじゃないかしら。

 東国の武士を統べた義家・義国の系統で、ブランド的に文句なし。新田氏は長幼の順で足利氏よりも上になる。
 上手いところに目を付けたものだな~。さすがだわ。 なんて思うた。


 ということで、足利氏宅跡の見物終了。



 境内にあった案内板によると、この東門は鎌倉時代のものらしい。



 入った南門と比べて造りが粗雑なことから、こちらは本当に鎌倉時代じゃないかしら。


 駐車場に戻って、またベンチで長い休憩を取りました。

 昼食をとった方が良い状況だったけど、へばっていて店を探す気にならず、ベンチで缶コーヒーを飲んで昼ご飯にする。
 太平記館の売店で何か見繕う気にもなれず。観光みやげの菓子類じゃねぇ。(^^;)


 駐車場に戻る直前にあった喫茶店。以前なら入って、休憩を兼ねた食事でサンドイッチかパスタでも食べたところです。
 が、今はこういう店、パス。吸えない可能性が高く、実際、通り過ぎながら見たら禁煙シールが貼られていました。

 1,000 円ほど使うところが 130 で済んだわけで、財布的にヨシ

 こうした感じで、今どき風の小洒落た飲食店を目当てに出かけること、たまたま見かけて入ること、無くなりました。


 続けて向かったのは、なところ。



 国道沿いの自動販売機ステーションです。

 R122 を挟んで、両側に建っていました。


 こういうのって、利用したことは無いのだけど、昔はよく見かけたと思います。スキー場でも、カップヌードルの販売機を見た記憶がある。で、今もあるなら見てみよう、と。(^o^)

 検索していて、たまたま行き当たった情報です。ネタ扱いの情報。(笑)

 コンビニの時代ですものね。そして残念ながら、中はご覧の通り。



 麺類は販売中止で、動いていたのは缶飲料の販売機のみ。もし動いていても、この状態では衛生状況が不安で買えなかったと思いますが。(笑)


 最後に向かったのは、館林。

 館林城趾は市役所になっていて建造物や遺構がほとんど残っていないので、パス。徳川第五代将軍の綱吉が将軍になる前に城主だった、 25 万石もの政庁だったところなんですけどね。
 そう。江戸幕府の初期には江戸防衛の重要な基地として、川越と並ぶ重鎮クラスの居城だったんですよね。今は、ほぼ何も残っていないに等しい状況。残念。

 で、寄ったのは農協が運営している直売所です。



 白菜の大玉やトマトを買って帰る。白菜の大玉が美味しいと、相棒から評判でした。


 この後は、近くの館林 IC から一路、自宅へ。 R122 をトコトコと、白岡菖蒲 IC まで走ることも考えていたのですけどね。

 コインスナックから館林までの R122 が、国道でも決して快適ではなかった。(^^;

 「飛ばせ!と言う気はない。せめて、もうちょと迷わずスッキリと、周囲の動きの予測をしながら、制限速度で走ってくれよ~」と、ヘルメットの下で泣きながら1速2速3速を行ったり来たり。(^^;;;

 「4速 2,200rpm 悲鳴寸前」がたまにあっただけ、だもの。県道よりマシではありましたが。(笑)


 東北道は順調で、淡々と、巡航。

 前の車をさばくときや料金所ゲートのダッシュで、低いギアで 5,500 rpm ~ 6,000 rpm まで引っ張ったくらいです。もっぱら煤飛ばしくらいの意味。

 ちなみに、近頃の東北道や関越道で多いやつ。一番左の車線の流れが一番よいシーンが多々ありました。
 ワオに乗るようなってから、一番左で淡々と流すようになったので丁度よいです。


 給油して、 17:06 に帰庫。この日は 197 km で、総走行距離 2,937 km

 燃費は、別日の都内@@を含めて 19.02 km/L でした。

 
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