駐輪環境に憤懣爆発
あちこちが壊れてきてあれこれ面倒臭い ぽてち。半日かけて医者巡りをしてきました。
区を、大きくぐるっと回ってきたような巡り方です。
で、都バスはすぐ来ないし、やっと来て乗ってもひどい渋滞がお約束の道を走る路線だから、膨大な時間がかかる。
路線が残っているだけいいんですけどね。
地下鉄はいい走り方をしていなくて、駅も遠くて時間が...
バスは待ちも歩きも長くて時間がかかるしこの区間は初乗りで済むから、タクシ-が来たら時間を買うつもりで乗ってもいい。
そう考えて立っていても、国交省が既得権優先の強制減車をしてから空車が来やしない。
ぽてちは要するに何を言いたいのか。
そう、都心部はバイクが圧倒的に早くて便利なんです。ぐるっと巡ってきて4時間が、たぶん半分の時間で済むことでしょう。
なんだけど、恒例の憤懣。バイクを駐めるところが無いわけです。d(^_^;)
土地に余裕が無い都心部は大きな病院でも車を駐めるのに難儀するし、扱いとしてバイクは絶望的。まして、個人経営の小さな医院においておや。
あぁ... 費やした時間の半分を、生産活動や生産性の回復に充てられたら...
ぽてちだけの個人的な活動に止まる話しでなく、昼間人口 2,000 万人のうち何%かに言えることですね。
1%でも 20 万人ですよ。
二輪が使えるようになって、溢れかえる業務利用の四輪が減れば。渋滞が減って、業務的にも社会的にも効率が上がるし路面も痛まない。
浮いた時間でもう一件、さらにもう一件と、稼ぎに動けるわけです。もちろん燃料消費が減ってコストで効率向上に寄与するし、社会としては省資源なうえに、二酸化炭素排出量も減るわ、若干でも夏の酷暑が和らぐわ。
渋滞が減ればバスの実用性が上がるから、業務移動の一部にバス利用シフトがあって、もう一度おいしい。
日中在宅層のチョイ外出も増えて、わずかでも経済が動き、さらにもう一度おいしい。
歩道の広くなってるところは、何台か分でも駐輪区画にすればいいのにね。各々わずかでも、たくさん積もれば山ですよ。
大金を使ってショボい植え込みなんかそこら中に作っていて、気分はちょびっと良くなろうけど、土地と金を浪費する贅沢なのにね。
バブル期みたく莫大な金が余っていて経済・財政の先行き展望もニコニコなら、それもいいでしょうけど。
いつまで、バブル期の発想と優先順で町を整備しているのかな。
ここで考え方の転換をしたつもりで自転車用なんか作ると、それは視野が「意識お高い」系というやつです。「今」を前提にした「今」の延長しか招きません。
自動車を業務利用している会社はどこも、よっぽど困窮するまで自転車なんかにシフトしやしませんから。
ヤマト運輸の都心部リアカー取り組みは、最初から最後まで徹頭徹尾、駐める場所と荷物量の兼ね合いが理由の例外でしょう。
加えて、坂が多い日本で積極的に自転車を使えるのは、体力と気力に満ちあふれる年齢で健康な層だけ。
だからかな。そんな理由もありそうです。カブで頑張っている個人商店のジイちゃんの姿をめっきり見なくなったのは。
行った先でカブを駐められない状況になって自転車は?と思うても、ジイちゃんに自転車はキツくて、やっとられんでしょうしね。
年金と子からの援助で食っていけるなら、そらキツくなったら店たたむわなぁ。食っていく目処が立つなら ばあちゃんも、カブも自転車も危ないからもう止めろと言うだろうし。(^^;)
そう。広い道路の路側帯も線で四角に囲って、動力機つき二輪のみ駐輪可のスペ-スにすればいいんです。
経産省の課長が、運転免許の制度改変で二輪の売り上げ回復を目指すウンヌン...言うたとか。
一部メディアが興奮気味に報じておったですね。
動かす金が小さく力の無い経産省が、事故が減りさえすればいい部分最適の権化のような警察庁を、部分最適な世論の操作や議員転がしにも長けた強大な警察庁を、抑え込んで制度改変をさせるなんて絶対に無理です。
まして、運転免許の制度改変なんて、比較して着手用意な手であっても筋が悪い。二輪の売り上げ回復にほぼ寄与しません。
もし実現しても「泰山鳴動して鼠一匹」の結果が間違いなし。
だって、きれいに排除されててちょっとでも駐められそうな空気にないし、強引に駐めるとすぐ緑色が出てきて点数も金も失うんだもの。
免許を持つ ぽてちが PCX 導入を断念しているのと同じ断念が、世にたくさん生じるだけです。
よし!、どんどん長くなるゾ! (笑)
国際政治の環境が大きく変わってしまって、世界経済の環境で圧倒的に恵まれていた立場を失ってもうて...
豊かさをどんどん失いつつある日本社会じゃないですか。
嫌も応も無く少子高齢化が進んでいて、豊かさを失うどころか、破産と貧困に向う道を進みつつある日本社会じゃないですか。
少しでも先手を打っていかないと、みんな貧乏になって、みんな辛くて苦しい思いをするですよ。
ぽてちはそう考えるから、部分最適や些末に意識お高いことを嫌悪するようになりました。
二輪の排除もその典型例です。
意識お高い系と部分最適にやられてしまった現状のまま放っておけば、庶民の自家用は言うまでもなく、業績好調な一部会社の他は営業用でも四輪なんて持てなくなって、いずれ二輪に移行して行かざるを得なくなりますけどね。
酒屋の配達も問屋の営業も軽自動車なんか使えなくなって、また昔のように、町をカブが走り回る時代になる。
経済状況の要請とあらば、嫌も応も無く駐輪環境は良くなっていく。混雑も渋滞も減る。
でも、豊かさを失って強いられてそうなるのに、歓迎できることか?と、強く思うわけですよ。
そうなったとき、国民の大多数を占める今の中間層は貧困層相当に陥っていて、貧困層は極貧に陥るわけです。
そのとき、国民の多くにとって二輪も高嶺の花です。それどころか、どれほどたくさんの苦しみと悲しみが、世の中に蔓延することでしょう。
高度経済成長の以前。豊かさの先端を走っていた東京圏でも、多くの庶民がどんな状況だったかをわずかに記憶する ぽてちは、ものすごく恐れています。
いくら騒いでも叫んでも、デモを繰り返しても、どうにもならんですよ。
悲劇でも理不尽でも「金が無いんだからどうしようもない」で終わってしまう。
それは贅沢品や贅沢な行為の話しでなく、庶民の日々の暮らしや庶民の健康と寿命を直撃することなんです。
前にあったマンガ『3丁目の夕日』懐古? これっぽっちも耽美できることじゃありません。「いいところもあって」とか言ってられる事態じゃない。言えるのは、限られた富裕層だけです。
少しでもより経済が回るよう優先配慮をして、1円でも多く富を生み出していくことに全力を挙げなきゃならん。
日本は、そんなタ-ムに入ってしまったと思うんです。
お高い意識と部分最適で経済を犠牲に二輪を排除していることも、大運動会に3兆円も使おうなんて壮大な贅沢にも、腹の底から「違うでしょ!」と叫びたい思いを抱くわけ。(^_^;)
いつまで、バブル期の発想で物事を決めて金を使おうとするのかな。
混沌と「人間色々」の中から活力と希望が生まれる好例の地 ↓ (笑)
ふぅ~
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コメント
要約すると
『猫無罪』
と言う事ですね( ̄ー ̄)ニヤリ
ホンダとヤマハが原付生産で提携なんて寂しい記事も出てますが、原付を125ccまで拡大しなくても、交差点30m以内は駐停車禁止を徹底して後は路肩は停め放題にするだけで、かなり業績は回復するはずなんですけど。
投稿: フックランナー | 2016.10.08 10:55
その感は、ある。(笑) > 要約
でもね、本当に思っていることではあるんです。
事故減やこざっぱりした町の整備を優先する頭から、経済性を優先する頭に切り換えていくべきタームに入っていると。
考えの根っこは、人口減の先にある 8,000 万国民の、豊かで健康な社会を維持することです。
確かに、今の2輪排斥で年に数千の事故死を防止できているとは思うです。
でも今の延長を続けると、代わりに年に数万も増える時代になっていくべ、と。
事故統計に計上する数を抑える代わりに、病死統計がうなぎ登りになるべ~、と思う。
貧困による栄養の偏りがもたらす不健康と、医薬品と医療の手が行き届かなくなっていくことで。
基本は摂取カロリーを確保することだから、内戦で数百万にが死んでいく国みたくはならんと思うですけどね。
HY戦争の当時、バイクから完全に離れていたので詳しい状況は知りません。
原付スクーターの値段相場を下げてしまって世の「これくらいの値段」感覚が低くなってしまい、再び上げることができずにいる。
流行と低価格に釣られて不用意に乗って痛い目に遭った人を量産してしまい、かえって2輪嫌煙招いた。
んなこと?
投稿: ぽてち | 2016.10.10 17:45