道交法を再改訂すべきじゃなかろうか
しばらくぶりにバイク乗りました。v(^o^)
道が空いててけっこうスイスイで、片道 8 km を 25 分。
わずか 8 km に 25 分もかかるのは、『都心部クオリティ』ってやつです。(笑)
それでも...
これが車だと、 30 分ちょっとでしょうねぇ。
コイン P を探すのと、店まで歩くのに時間がかかるから、実質 40 ~ 45 分。
で、探すのに苦労する可能性が高い地域で、車だと行く気になれません。
バスと地下鉄だと、歩きを入れて 50 分。実際は運悪くバス待ちが長くなる可能性を考慮して、 55 分から1時間を見込みます。
まったく行く気になりません。
25 分と 40 分と 50 分。もしかしたら最後は1時間。町はバイクが便利なんだな~と、再認識です。
が、大きな障害をあらためて感じました。
一つ目。もちのろんで、駐めておく場所です。
今回は買うのが前提だったから店の前に駐めさせてもらったけど、見るだけだとバイクですら駐めておける雰囲気じゃあない。
要望に合うものがあれば買う気で、たぶんあると決め込んだから行けました。
必然的に、「他に何か買っておくものがあれば」と他の店を見て回ることもしなければ、冷たいもので一休み♪もせずに、目的を果たしたら一目散に退散です。
帰路、目に入った商店も、小川町から神保町にかけて店が多いエリアで昼食や買い物も、ぜんぶスルーして帰宅しました。
本もアウトドア用品も amazon でいいわ~となって、店で目に留まったことがきっかけの散財がまるで無し。
昼食は、帰宅後に徒歩 3 分未満のコンビニで買ったクリームパン。
前から書いていることですが、数年前の道交法改定は町からバイクを排除することになって(排除の意図が大きかったと思う)、繁華なエリアで好立地な店は別にして、町の商店の首を絞めたと思うです。
町の小さな2輪店は売り上げが減ったであろうし、手軽なスクーターで「ちょっとそこまで」級の買い物や食事が減っただろうなぁ、と思うのです。
ふり返ってみると、 30 年以上昔のことになりますが、バイクで 5 分 10 分の本屋や飲食店に、よく行ったものでした。
いま再びバイクがあっても、同じ事ができないご時世なんですよね。
水清くして魚住まず。これの代表例としていいかも。(笑)
迷惑にならなそうな所にヒョイ駐めておくことが可能ならば、メバチくんを売っぱらう・維持するとは別の事として、たぶん PCX 150 を買っています。たぶん、徒歩可能圏の個人商店で。
そうなっていれば、 PCX 150 購入で町にお金を落とすだけでなく、バイクで 5 分 10 分の商店や商店街でお金を使うことになっています。
なのに今の実際は、バスと地下鉄で行きやすい限られた繁華街の限られた店か(たまに)、駐車場を持つ限られたスーパーか(ときどき)、 PC 周辺機器や重い本やシャンプー等は amazon で(いつも (爆) )。
「(大手資本を中心とした)ピンポイントで、まとめて」型消費になっとるですだ。
日常の飲食費も、その多くを徒歩で行ける・帰りに立ち寄りやすいコンビニに吸いあげられとる。
車と比べて維持費も運用費もだいぶ安く済んで、町では車より便利なバイク。それを使えなくしただけでなく、使えなくしたことで多くの商店や飲食店の首を締め上げたな~と、あらためて思うたのです。
2枚目以降の写真はいわゆる町のキッチンですが、散歩を兼ねて偵察してみる気になったからバスを使って行ってみたときのもの。(その気ならなかったら、スーパーで買ったインスタント麺とコンビニサラダになるはずだった)
試した結論は2人とも同じ。「通りがかることがあればまた入るだろうが、バスを使って歩いて、わざわざ来るほどじゃない」でした。
迷惑にならなそうな所にヒョイ駐めておくことが可能ならば、スクーターを買ってあって、この店にも時どき行くでしょうね~。
こういう消費がめっきり減っているだろうと思うのです。
世の商店・商店街は結束して道交法の改定に反対すべきでしたね。せめて、一律で2輪を包含せず地域ごとの禁止指定にせよと、強く働きかけるべきでした。
衰退する商店街の復興に公費を投入とか、期待薄のことにあちこちで数千万円ずつも使うより、道交法を再改訂した方がよいのじゃないかしら。
蛇口を絞っておいて受ける桶をいじったって、意味ある?と。蛇口を開けなきゃ。
人が活発に動いてその結果、雑然としていなければ、小さな存在は生きていく余地がありません。
水清くして魚住まずです。
二つ目。
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