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2016.07.09

知床


 日差しは強いけど風があると寒い。そう感じていられたのは初日だけ。その後は湿度が高く、暑がりな ぽてちは日差しがあると汗ばんで、あまり快適に感じられません。


 さて、知床半島がブレークしたのは、『知床旅情』という歌がきっかけだそうです。

 無論ぽてちも知っていますが、知床なる地名を知ったきっかけはちょっと違っていて、昭和 30 年代と思しき時代の北海道旅行記を小学校中学年くらいの頃に読んだこと。

 当時は東京でもまだまだだったくらいです。厳しい自然の中での、まだ十分に豊かではなかった人間社会の様子に目を吸い寄せられるようにして何度もむさぼり読みました。

 だからだと思います。大きくなってからあらためて歌を聴いて...

 『三丁目の夕日』とかいうマンガを見て、「なに耽美していやがる。あの時代、貧しさと技術が未発達だったゆえの辛さ苦しさと悲しみに満ちあふれていたんだゾ。一昨日来やがれ」と思うのと同類の「コレジャナイ」感を抱きます。(^^;)


 その知床を、自分の目で初めて見ることが叶いました。


 今は豊かな日本社会の資力が知床にも当然及んでいて、横断道路はとても綺麗だし、パリッとした自然センターみたいのはあるし。ウトロの町も現代的な家屋ばかりです。

 下の写真は早朝の知床峠。



 『ギンザンマシコ』とか言う、珍しい小鳥を見ることができました。運がよかったそうです。


 次は知床五湖と知床の山々。



 現代の日本らしくきれいに整備されたところからの眺めですけど、これほどの広域にわたって人の手が入った跡をほとんど感じさせないところは初めて見ました。
 山の木々は、たぶん植林はないでしょう。人の手になる木が生育できるような環境とは思えません。

 ここはもう野生動物の国の中で、五湖展望台への遊歩道は空中歩道になっていて、両脇に羆防御の電線が張られていました。

 五湖すべてを回る周遊路は、センターでレクチャーを受けた後にインストラクター付きでないと入れないそうな。


 駐車場に向かう道中、道の脇に家屋の残骸がわずかにあるんですよね。

 入植の跡だそうな。自然環境があまりにも厳しくて、昭和 30 年代には断念して離れていった、その跡だとか。


 歌は、当時の都会のお気楽な若者向けに作られたお気楽なセンチメンタリズムだったんだなぁと、あらためて思うたです。
 まあ、それでブレークして観光で潤ったのだから、悪い話しではないのですけど。
 
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