2階建て新幹線車両を見ると思う
初代の2階建て新幹線車両は 1994 年の登場だそうな。2代目となる現行型も、もうすぐ引退だとか。
通勤・通学客の増加に対応するため、2階建てにして座席数を4割増やした車両。
バブル真っ盛りの頃の企画と開発で、完成と投入は崩壊からちょっとした頃。時期的にそんなところでしょう。
分野を問わず「こりゃ世の中だいぶヤバそうだ」と感じたのは、もう少し後。 97 年とか 98 年とか、それくらいだったように思います。
「まさか!」の政府系銀行破綻も、その頃だったのではないでしょうか。
自動車はもうちょっと早くて、 95 年とか 96 年くらいから、新型車がどんどんショボくなっていった覚えがありますけど。
動きが早い自動車業界は、バブル景気がコケて早々、開発中に設計変更・仕様変更を加えていったのでしょうね。
で、2階建て新幹線車両を見ると今も思う。
バブルの頃に、仙台の郊外に戸建てを買って、仙台から東京に通勤していた おとーさんたちはどうなったのだろう?と。
NHK が取材報道番組で仙台通勤をレポートしていたと記憶しています。
仙台と東京間の新幹線定期なんて高額なもの、どう考えても費用は会社持ちでしょう。
バブルが盛っていた頃は、社員をつなぎ止めるため、新卒を獲得するため、世の大企業はこぞって大金をバラ撒いていたものです。
取材では、会社が出せる通勤手当の上限額に自腹で何万円か乗せて通っても、ローンの安さで割が合うと言うていた おとーさんもいたように思います。
通常の定期券料金表に仙台からのものはなく、その定期券は特注で購入したものだったかと。
で、始発で座れるから体は楽だとか。その始発に座れなくなってきたのが問題だ、と。
その後、会社が出す上限額が下がっていったのじゃないかと思うんですよね。
知人で親が大手勤めという人が、家から東京の大学まで 180 km を新幹線使って通っていた、なんて例は知っていますけどね。
世の中ヤバくなってきたと感じていた頃のようだから、高給で有名な業界の大手ってのは、凄いものです。
でもまあ、これは地方の資産家でも可能なことで、特急に乗って 200 km の大学へ通っていたという例も知っていたりする。
これらはやっぱり例外的なケースで、普通はそうはいかないでしょう。仙台は 325 km もあって、通勤定期なわけだし。
始発の車内で写っていた多くのおとーさんは、どう対処していったのかしらん?と、今も頭を過ぎるのでした。
当時的にも勝ち組の、少なくとも端に連なるはず。さっさと売って近くで買い直し、そのマイナスを被っても何とかなったのかしら。
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