モノクロだった時代
自分が小さかった頃。世の中はまだモノクロ写真が普通でした。写真を撮ってプリントする。機材もプリントも、当時はたいへんな費用がかかるものだったようです。
高度経済成長が始まる前、わずかに残る幼稚園前の我が写真を見ると、とても小さなプリントです。高度経済成長が始まった頃、少し大きくなってきます。高度経済成長の盛り、小学校に入った頃になると、学校行事で写真館が撮影した写真のプリント販売がサービス版サイズでカラーになっています。家族旅行の写真もサービス版のカラーです。
自分は、高度経済成長前の空気をかすかに覚えています。戦後はもう終わっていましたが、庶民の生活とその環境は、まだ貧しい時代の空気を多分に残していました。
その時代の平均か平均よりやや下な所得層の病弱な子ども。体質だけでなく栄養不良もあったようです。そんな子どもは、自分の無力さと生存することの敷居の高さを肌で感じ、陰、闇、力に怯えを抱きました。薄暗さは貧しさと周囲の闇を意味します。
モノクロ写真は、その時代の記憶をくすぐるんですね。懐かしさよりも無力感や怯えの記憶が勝ってしまって、どうも好きになれない。
表現に技術と感性が必要で難しく、自分にはカラッとしたモノクロ写真を撮れないのも理由の一つでしょう。でも、上手な人の写真を見ていても、やっぱり全体として重苦しくもの悲しく感じてしまいます。
チャレンジしてみるか。それとも避けて通すか・・・
ちなみに、白熱灯を好きになれない理由も同じです。昨今は、白熱灯はお金持ちの照明で、蛍光灯は庶民の照明だそうです。でも、電気代とは無関係に、好きになれない。子どもの頃の思いを断ち切れるほど身の安泰を感じられるような所得が無い。そういうことでもあるのでしょうけどね。
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